ペットロスについて
ペットロスとは、ペットが亡くなった後に感じる深い悲しみや喪失感を指します。ペットは多くの人にとって家族の一員であり、その存在は日々の生活に大きな影響を与えます。ペットが亡くなった際、その喪失は人間関係の喪失と同様の感情的反応を引き起こすことがあります。
■ペットロスの主な症状
- 深い悲しみや虚無感
- 食欲不振や不眠
- ペットに対する罪悪感や後悔
- 怒りや無力感
- 孤独感
■ペットロスを乗り越える方法
1. **感情を抑えない**: 悲しみや喪失感を否定せず、しっかりと感じることが大切です。
2. **サポートを求める**: 家族や友人、カウンセラーなどに話を聞いてもらうことで、感情を整理できます。
3. **思い出を大切にする**: ペットとの思い出を大切にし、その存在を感謝することで心の整理が進むことがあります。
4. **新しいルーティンを作る**: 生活のリズムを整えることが、気持ちの安定に繋がります。
ペットロスは非常に個人的な経験であり、回復にかかる時間や方法は人それぞれです。
虹の橋記念日について
8月28日は、🌈虹の橋記念日🌈
(Rainbow Bridge Remembrance Day)
なのだそうです。
この記念日は2015年に、アメリカの作家であり
ペット愛好家でもあるDeborah Barnesさんによって提唱されたものです。
彼女は、自身のペットちゃんを偲ぶためにこの日を設け、世界中のペットオーナーたちに、同じように愛するわが子を追悼する機会を提供しようと考えました。
虹の橋の物語は、長年作者不明のまま世に広まっていたのですが、近年、イギリス・スコットランドのエドナ・クライン=リーキー氏が、亡くなった愛犬メイジャーのために60年以上も前に書いたものだということがわかったそうです。
虹の橋の物語、とっても可愛くて心温まる物語なので、みなさんも良かったら『虹の橋の詩』で
検索してみてください🌈
✰虹の橋記念日にフィーとのこと(ペットロスについて)をちょこっとお話ししました。
私自身も経験したペットロス
2024年5月27日17時07分、私の最愛のパートナーであるFify(愛称はフィー)が虹の世界に旅立ちました。
先住犬のキララが旅立った時は、家族の犬ということもあり、私との関係も、フィーとの関係とは形が違っていたのと、別々で暮らしていたこともあり、いなくなってしまった後の悲しみの種類も違っていました。
『ペットロス』という言葉自体が、なんとなくしっくりこないのですが、人間以外でも大切な相棒を失った悲しみと痛みは同じくらい大きく大変なことであることを世の中に広めてくれた言葉が『ペットロス』なので、ここではあえて『ペットロス』という言葉を使って書こうかなと思います。
良い言葉が見つかると良いな。
―私なりの考えと乗り越え方
【虹の世界への旅立ち】
Fifyは11歳9か月でした。
最高に優しくてカッコよくて笑顔が素敵なアメリカンコッカースパニエルの男の子。
直前まで元気だったのに、ある日突然オシッコが出にくくなり検査をしたら血管肉腫であることがわかりました。
血管肉腫は進行が早く悪性度が高い癌で、腫瘍は尿道を押しつぶす大きさにまでなっていて、それで、オシッコが出にくくなっていたのでした。
Instagramに血管肉腫がわかるまでとわかってからのことを、細かく綴っているので、ここでは割愛しますが、
検査の日に余命宣告も受けました。
長くて数カ月、早くて1カ月以内。
今目の前に変わらず元気なフィーがいるのに、そんなにすぐにお別れがくるなんて信じられませんでした。
本当にショックで涙が止まりませんでした。
言葉にはできないほど悲しかった。
もうさよならが来るなんて、思ってもなかったから。
犬が人間よりも先に逝ってしまうことは、誰もがわかっていることだし、自分でも理解しているつもりだったけど、当たり前に歳をとっていくものだとばかり思っていたし、とっても若々しくて元気で健康な子だったから、
長生きすると勝手に信じていました。
だから突然、いなくなります、って言われても…
フィーの最後をなんとなく考えることはあったけど、今、目の前で私に笑顔を向けてくれているこの子の死を、受け入れ、リアルに考えていくことなんて、この時点ではできませんでした。
でも、昔から漠然と考えていたことは、
“その時が来たら、全力でこの子の死を受け止め、悲しみと向き合う”ということでした。
最後はフィーのことを1番に考える。できるだけ苦しませないように、そして、生きている間をめいっぱい幸せに過ごしてほしい。そんな願いを持っていました。
検査の翌日から体調は急降下。
フィー自身も病気であることに気付いたのかもしれません。
もしくは、ギリギリまで我慢していたのかな。
CT検査が5月7日だったので、闘病は20日間。元気な子が逝くにはあっという間すぎました。
それでも、余命宣告があったから、20日間を全力でフィーと過ごすことができました。
フィーがくれた大切な時間。ちょっとだけ介護を味合わせてくれた時間。
思う存分一緒に過ごしました。
最後の夜(26日)、突然外に行きたいと言っている気がして夜中の散歩に出かけました。
この日はもう、ほとんどぐったりで意識もうっすらだったのに、夜のお散歩は意識がはっきり目が開いて。
突然横から月の光がまぶしく差してきて、私のことをじっと見つめるフィー。
あの時、『もう明日行くからね』と言ってたのかな。
翌日、私の腕の中で息を引き取りました。
最後は私の腕の中で…という、私のわがままな願いまで叶えてくれて、本当に優しいやつです。
最後の最後まで生き様を見せてくれてカッコよかったです。
腕の中でまん丸くなったフィーを、気が済むまで抱いたままでいました。
その間ずっと温かかったな。忘れられない。
明日は当たり前に来ないことを学びました。
【亡くなった日と葬儀】
病気で体の中もけっこう傷んでる感じだったので、きれいなままお空に送ってあげたくて、翌日のお昼に葬儀にしました。
こんなに早く葬儀にしてしまって良いのか、それも、すごく悩みました。
もっと一緒にいたいって思っちゃって。
明日になって、どうしてもまだ送る心の準備ができなかったら延期しよう。
そのくらいの気持ちでいるようにしました。
自分の心に耳を傾けて、自分の気持ちを大切にしました。
最後のお別れは、ちゃんと信頼できる葬儀屋さんを選びたくて、フィーの生前から知っていた信頼できる大きな葬儀屋さんでお願いしました。
ここにして良かったです。すごく素敵な葬儀を一緒にしてくださいました。
こういうことを、ひとつひとつ丁寧にできることで、気持ちがちょっぴり落ち着きました。
お骨は、パウダー状にしてコンパクトな骨壺にするのも最近はあるんだけど、どうしても形のあるまま家に連れて帰ってきたくて、真っ白な大きな骨壺で連れて帰ってきました。
大きくて存在感のあったフィーが、こんなに小さくなるんだね。
【葬儀のあと】
葬儀から帰ってきてから、心にすっぽり穴があいてしまった感じで…。
息を引き取った日から涙が止まらなくて、一生分泣いた気がします。
でも、家族の前でもずるずるずっと泣いている姿を見せるのが何となく嫌で、せっかく妹が家に来てくれていたのだけど、泣きたくなったら一人で出かけて、車の中でこっそり泣いていました。
フィーが息を引き取る瞬間も妹が一緒にいてくれたのだけど、その時の私は今までにないくらい泣きじゃくったので『お姉ちゃんがおかしくなっちゃうんじゃないかと思った』と言われたから心配かけちゃうかなとも思って。
でも大切なこの子のことを想って出てくる涙は我慢したくなかったし、静かにフィーと向き合う時間も欲しかったし、自分の気持ちとも素直に向き合うほうが楽になれる気がしたので、一人で泣く方がその時の私は楽で、必要な時間でした。
そして、しっかり泣くことで、気持ちも少し楽になりました。
でも、さすがに泣きすぎたのか、激しい頭痛に襲われるようになって、身体が悲鳴を上げたので、ちょっとだけ泣くのを我慢するようになりました(笑) 体がもう涙が限界だよぉぉと言っていたみたいで‥(笑)
その声にもちゃんと耳を傾けてあげないとと思いました(笑)
【突然襲う悲しみの波】
妹も帰って1人になってからは、突然、大きな悲しみの波に襲われるようになりました。
夕食の準備をして、さぁ食べ始めようと思ったタイミングで突然悲しみの波が襲ってきて、涙が止まらなくなったり、何でフィーがいないのかが信じられなくて苦しくなったり。
ドッグトレーナーの私にとっては、フィーは仕事もプライベートもほとんどの生活が一緒で、かつ素晴らしいパートナーで、かけがえのない大きすぎる特別な存在で…。
生きがいでもあったことに気が付いて、私の生きるパワーが弱まってしまいました。
フィーの存在が、私を強くしてくれていたし、愛で満たしてくれていたから幸せで優しい気持ちでいられていたことにも気が付きました。
私は、人間性も含め、フィーに成長させてもらって、生かしてもらっていたんだなーって。
存在が目に見えないことの喪失感、もうこの先、フィーのためにしてあげられることが無くなった未来、
私のこの気持ちは誰にも100%はわからないといという孤独感、頭がおかしくなってしまいそうでした。
自分がこんなふうになってしまうなんて予想していなかったし、こんな感じで悲しみが押し寄せて来るとは思ってもいませんでした。
もともと何かに依存するタイプではないし、悲しみの中でも冷静でいられるだろうと思っていたので、全然違った自分の状態に正直戸惑いました。
【小さな一歩は大きな前進になった】
毎日、自分ではコントロールできない大きな悲しみの波に襲われていて、毎日の涙を止める方法は、
仕事に出かけるか、誰かに家に来てもらうか、誰かとごはんを食べに行くか、でした。そのどの日でもない時は、泣くことに飽きるまでそのまま大泣きしていました。
性格的にも家族にすらあまり弱った自分を見せることが好きではなかったので、『人前ではしっかりしなくちゃ』という意識が働いて、人といる時には涙も止まっていたのだと思います。
初七日、大法要、お世話になった動物病院への挨拶など、小さなイベントを数日ごとに入れることで、
私もフィーを感じられるし、フィーのことを周りの方にも思い出してもらえるし、心が救われる感じがしました。それと、アニマルコミュニケーションにも頼りました。
どうしても、あっという間に行ってしまったフィーの気持ちを知りたくて、それに、会いたくて会いたくて…その時は、すがる気持ちで依頼しました。
本当なのか空想なのかはわからないけれど、なんとなくフィーに会えたような気がして、そこでも少し心が救われたのでした。
日課だったフィーの手作りご飯もしばらく続けていました。祭壇に供える用に。今度は健康で長生きさんで生まれてこられるように祈りを込めて。
祭壇のお花のお世話をすることもお線香をあげることも気持ちを少しでも落ち着けるためのルーティーンでした。
心がどうやったら穏やかになるのかを、日々、自分の気持ちに静かに耳を傾けて、探して、実践するようにしていました。
フィーの遺骨といただいたお花たちを置いて、長時間家を空けることが気持ち的に出来なくなってしまって、
気持ちの中ではまだ、あの病気で頑張っているフィーの記憶が強く残っていたのもあると思います。
ひとりで家に残して行けない、みたいな切ない気持ち。
そこで考えたのは、フィーの遺骨と遺毛を入れられる羊毛フェルト人形の製作でした。
あの時の私は、どれだけ、この作っていただいたミニミニフィーに救われたか。
ミニミニサイズでしたが、大きなお守りになりました。
それでも、1カ月以上、気力が湧かないのは続いていて、仕事以外は何もできなくて、ずっと眠たくて、
(今思えば過酷な20日間、まともに寝ずに看病していたこともあり、疲れが出た上に大きな悲しい出来事によって心身共にやられていたのだと思います。)このまま自分がどんどん落ちて行ってしまうのではないかという、強い焦りと、金銭的理由(近い最期がわかっていて1カ月近くフィーに付きっきりで仕事もほとんどお休みして看病していたのと、抗がん剤の一種(とても高額)や他のお薬たちを緩和治療で投与したり、毎日輸液に通っていたのもあり、1か月の支出は大きな額になっていました)もあり、葬儀の翌日だけお休みして、その次の日には仕事を再開しました。
お仕事がお休みの日は1日中動けなくて、ネガティブな感情が湧いてきやすくて、また涙も出て来るし、ずっとこのままなのではないか、と焦る気持ちが日に日に強くなり、ひとりでもがいていました。
そこで、私なりの前進の一歩は、近場への弾丸旅でした。フィーと行こうと思っていた箱根。
とにかく『動けた』『行動出来た』ということが、自分の自信に繋がりそうで、重たい体を奮い起こして行動しました。(効果的かは人によると思うけど…)
その日から、徐々にではありますが動けるようになっていきました。自然を感じられたのもパワーになったのかもしれません。自然のパワーはすごいですから。犬のパワーと似ている部分もあります。ネイチャーパワー。
そして、ポジティブな感情も少しずつ湧いてくるようになりました。(Instagramにその時の気持ちは都度残しています。)
フィーが旅立った後🌈も、フィーを活かせる(輝かせられる)のは、私しかいない!という思いも湧いてきて、引き続きフィーとのInstagramを更新しています。
こういう気持ちになれたのも、周りの方々のおかげです。
こういう大きな人生の出来事で改めていろんなことに気が付きますが、私は本当に人に恵まれていてフィーの話を沢山一緒にしてくれる方々が周りにいて、それが本当に本当に救いでした。
フィーが存在していた証がある。フィーはみんなの中でまだ生きている。と思えたことが大きかったのかもしれません。沢山一緒にお仕事を頑張ってきたかいもあるね!って。
みんながフィーを慕ってくれたことで、 フィーってカッコイイな! と誇りにも思えました。
フィーを失った私への声のかけ方なんて難しいだろうに、迷わず連絡をくれた方々が沢山いて❝フィーのおかげ❞で沢山の方々と繋がることが出来ていると感じた時に、寂しくて悲しい気持ちよりも、フィーへの感謝の気持ちが大きくなっていく感覚でした。
【❝不思議❞な出来事】
フィーの姿がなくなってからの仕事初日、いつも一緒に仕事をしていたこともあり、日課の声掛けがあったのですが、その日もいつも通り『今日は〇〇くんの日だよ!フィー、よろしくね!』と声をかけると、
お風呂場でシャンプーのボトルが勢いよく倒れて!(倒れるような場所に置いてなかったのに!)
やる気満々で仕事を手伝ってくれる子だったから、そんな勢いで倒れたシャンプーに笑っちゃって。
朝起きると近くで寝ているフィーの気配がしたり、夢にもちょこちょこ出てきてくれたり・・・。
フィーを抱いて川に浸かって、もう苦しくないよ言ってくれているかのような穏やかな表情を見せてくれる夢。
手の触り心地が薄れている気がして悲しんでいる夜は触らせてくれる夢。
違うことをしていても、傍らにそっといてくれる夢。
それ以降も、何度も出てきてくれていて、今でも続いていて、時々出てきてくれています。
他にも、本を読んでいて、パッと目を向けたところが、アメリカンコッカースパニエルのソフィちゃんという亡くなったワンちゃんのお話で、そこに書いてあったのは『お母さんに伝えてほしい。フィフィは、そばにいるから。いつも一緒だよって』という言葉。ソフィちゃんのお話なのに途中でフィフィになっているし!ビックリしたのと同時に心がふわぁぁと温かくなるのを感じました。(※前田理子さん著『魂はずっとそばにいる』より)
その後もちょこちょこ、幸せを感じる不思議なことが。
そのタイミングが絶妙で、寂しい想いをしている時に起きて。
そのたびに、クスクスっと笑えて、なんとなく存在の変わったフィーを感じて、元気をもらえるのでした。
【何者かに変わった最愛の子】
生前、仕事でもプライベートでも私のベストパートナーだったフィーは、亡くなってから私の中で存在の形をどんどん変えていって、うまく言葉で表現できないのだけど、何者とも違う不思議な大きな存在になっていて、それが、魂なのか??ちょっとよくわからないんだけど、ちゃんとそばにいてくれている感じがして。
これは、生きている時にお互いがどんな関係だったかによって、姿が見えなくなったあとの関係も変わるのだと思います。
最愛の子たちとの関係はみんなそれぞれ色が違うから、その育んだ関係によって、この先の生き方も変わるように感じます。
愛犬が亡くなると、魂レベルや人間のレベルが上がるという風に昔聞いたことがあって、いまいちピンときていなかったのですが、自分がこういう経験をいざしてみて、フィーが生前も私にとって偉大な存在だったこともあり、私の魂レベル?考え方?生き方?も大きく変わってきていることがはっきりとわかります。
最愛のパートナーは、この先も姿が見えなくても最愛のパートナーだし、愛して愛されていた関係は、心からの優しさや愛をこの先も教えてくれる。
フィーがいることで、パワーが2倍で生きていたから、いなくなってから、自分が半分溶けて無くなってしまったような感覚だったけど、そうじゃなくて、私という個に大きなプラスαのパワーを与えてくれていたのだということがわかりました。
自分が本当に欠けちゃって足りなくなっちゃったわけじゃない。
それどころか、もともとの自分よりも沢山プラスしてもらって、むしろ大きくなっていました。
だから、また新たなプラスαになるパワーを今度は自分で自分に与えていこうと思えたのです。
毎日、フィーに問いかけています。
『今の私は、あなたが好きな私ですか?』『これは良くなかったよね』とか(笑)
そして、フィーといた時の優しい気持ちの自分を思い出すようにします。
フィーのことを大切にした分、愛した分、その愛した子が大好きな私でいたいと思えて、自分自身のことも大切にできるようになります。
私はドッグトレーナーとして、これまでは、愛する犬たちへの恩返しのような気持ちで、犬たちと意思疎通がスムーズにはかれるご家族を増やせるように活動をしてきました。そして、そういったご家族が増えることで、犬たちが生きるこの世の中も、業界も、良くしていけると信じているからです。
でも、それらだけじゃなくて、お互いの丁寧な関係づくりと、愛犬と真剣に向き合い過ごすことで、私たち人間側が大きく成長できて、この先の生き方にまで影響を与えてくれることがわかり、
私のドッグトレーナーとしての役割に深みが増した気がします。
フィーがいなかったら、そして、フィーとこの関係を築いていなかったら、
今のプラスαされた私は存在していなかったから、フィーは命と人生の恩人です。
今までもこの先もフィーは私の誇りです。
フィー、今までもこの先もありがとう。